我流

何事も基本、基礎が大事だとはよく言われることです。

原理原則を理解して、その土台の上に技術が磨かれていくものだからです。

 

日本古来の武術は形稽古が中心でした。

それが幕末の撃剣興行で、竹刀の打ち合いの結果を技術の優劣と誤解することで、本来の形稽古が廃れるきっかけとなったようです。

 

試合形式の稽古は、その場しのぎの動きになりやすく、簡単に我流に陥ってしまいます。

もちろん試合に慣れることで、試合に強くなることは可能でしょう。

 

しかし、古の名人達人の境地に至ることは不可能だと思います。

名人達人に至るための階段が、古来より伝えられてきたひとつひとつの形だからです。

 

形は実戦の雛形では無い。

武術にふさわしい身体や動きを身につけるための原理原則である。

私の師匠はよくおっしゃっていました。

 

我流に陥りやすいのは武術だけではありません。

ある神職の方は古式の身振り手振りを伝えるのが難しい、とおっしゃっていました。

 

いつのまにか自分のやりやすい方法に改めてしまうことは、多くのジャンルで見受けられることです。

 

もしかすると、コーチングのジャンルでも同じことが言えるかも知れません。

例えばエフィカシー。

 

エフィカシーは自分のゴール達成能力の自己評価のことです。

ですからエフィカシーが高いことはいいことです。

 

しかしエフィカシーが高いことと、高慢や傲慢は全く別物です。

また自分のゴールに関係ないことが苦手でも問題はありません。

その場合はエフィカシーが低いとは言いません。

 

誰にでも得手不得手はあるものです。

ゴールに関係のない事柄なら、苦手です、と言っても差し支えないでしょう。

なんでも出来ると思うことはいいことではありますが、苦手なことを隠そうとして出来るフリをするのはエフィカシーとは関係のないことです。

 

過去は一切関係ない、といっても経験やキャリアが無駄で必要ないという意味ではありません。

過去を基準に判断、行動することを避けるために、さらには未来のゴールの重要性を上げるために強調しているだけなのです。

ですから会社に業務の報告書を提出しない、という態度は如何なものかと思われます。

 

私たちは思い違いをしやすい、という習性を持っているようです。

この仕組みも認知科学は明らかにしていますが、こと自分のこととなると分かりにくくなるのは誰でも同じです。

 

だからこそ、コーチングのプリンシプル(原理、原則)が大切なのです。

コーチングを学ぶ人にとって、プリンシプルは武術の形のようなものです。

プリンシプルを無視して自分のやり方を続けると、うまくいくこともあるかも知れませんが、結局は失望で終わることになってしまうでしょう。

 

古のサムライが黙々と形稽古を繰り返したように、自らの思考や行動をコーチングのプリンシプルに照らし合わせることが重要だと、自らを戒めています。

 

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