負うた子に教えられて…

スコトーマは誰にでもあります。

物理的に見えない部分だけでなく、関心がない、知識がない、あるいは気がつかない物事というものが誰にでもあるものです。

これは私たちのマインドの仕組みによるものですから、スコトーマ(心理的盲点)から逃れられる人は誰一人としていません。

以前も話題にしましたが、ブッダ釈尊も例外ではなかったのです。

ブッダといえば目覚めた人という意味で、すべての煩悩を滅ぼし、智慧を完成した方だと言われています。

そのブッダにもスコトーマがありました。

ブッダが悟りを開いてすぐ、説法に心が傾かず、そのまま涅槃に入ろうと考えていました。

ブッダの悟りの内容は非常に微妙かつ深淵だったため、その教えを聞いた人が理解できないばかりか、怒りさえ覚えるだろうと危惧されたからです。

誰一人理解できないような教えを解くのは、無駄だと考えたのでした。

このことを知った梵天サハンパティは、ブッダに説法をお願いします。

教えを聞いて理解できる人が必ずいますから、と。

有名な梵天勧請のストーリーですね。

手塚治虫さんの名作漫画「ブッダ」では、梵天の方がブッダより偉く描かれていましたが、伝承では梵天がブッダを礼拝して、お願いするのです。

仏教ではブッダより偉大な存在はいないと考えているからです。

そしてブッダはその神通力で世間を見渡し、教えを理解できる人々がいるのを知り、伝道を決意します。

梵天がブッダのスコトーマを外したということで、コーチの役割を果たしたのです。

ブッダのスコトーマを外した人が、まだいます。

当初、仏教教団には女性の出家者はいませんでした。

ブッダの育ての母であるゴータミー妃が、ある時ブッダに出家を願い出ます。

しかしブッダは許しませんでした。

女性であることと年齢を考慮されたのかもしれません。

当時のインドの社会状況では、当然の判断だったでしょう。

しかしゴータミー妃はあきらめず、ブッダの侍者であったアーナンダ尊者に出家を取りなしてくれるよう依頼します。

アーナンダ尊者はブッダにゴータミー妃の出家を願い出、断られると質問します。

女性は悟れないのですか、と。

ブッダは答えます。

いえ、そんなことはありません。

教えの通りに修行すれば、誰でも悟ることができます。

もちろん女性でも。

アーナンダ尊者は食い下がり、ブッダにゴータミー妃の出家を認めさせてしまいます。

この時から、初めて仏教教団に比丘尼のサンガが誕生したのでした。

もちろんゴータミー比丘尼は阿羅漢となり、多くの比丘尼の模範となったのでした。

この場合、厳密にはスコトーマと言えるかどうか微妙ですが、ブッダの女性の出家は無理だという考え(思い込み)を変えさせた、あるいは女性の出家は可能であると論理的に認めさせたわけです。

ですからアーナンダ尊者も、この時ブッダのコーチの役割を果たしたと言えるかもしれないのです。

アーナンダ尊者はブッダよりもずいぶん若く、親子ほど年が離れていたそうです。

その上、完全に悟るのはブッダ入滅後ですから、この時点ではそれほど偉い存在ではありませんでした。

スコトーマを外す役割の人は、必ずしも立場が上ということではないのです。

ですからプロのコーチも、決して偉くはありません。

クライアントとコーチの関係はあくまでも、対等です。

それに、こんなことわざがありましたよね。

“負うた子に教えられて浅瀬を渡る”

自分より経験の浅い人に物事を教わることがある、と言う意味だそうですが、たとえ子供でもスコトーマを外すことができると言うことでしょうね。

スコトーマは誰にでもある。

忘れないようにしたいものです。

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