仁徳天皇陵

仁徳天皇陵をはじめとした、たくさんの古墳が密集している百舌鳥古市古墳群が、ユネスコによる世界遺産登録の勧告があったそうで、堺市はお祝いムードのようです。

私は正直、微妙というか複雑な気分。

仁徳天皇陵は、報道ではクフ王のピラミッドや秦の始皇帝の陵墓と並ぶ世界最大級の古墳であると紹介されることが多いのですが、違います。

世界最大級ではなく、間違いなく世界最大です。

そして多くの方のスコトーマ(心理的盲点)となっている点があります。

ピラミッドや秦の始皇帝陵の場合、王家は途絶えてしまっており、考古学的遺物となってしまっていますが、仁徳天皇陵は、子孫が途絶えていません。

つまり今上陛下のご先祖様のお墓だということです。

こういう言い方は良くないかもしれませんが、個人のお墓を観光の見世物にするようなことは謹んだほうがいいのではないか、と思ったりします。

その反面、仁徳天皇陵やその他の古墳群が世界中の注目を集めることに、少し嬉しい気持ちも正直なところあるのです。

ですから、微妙な複雑な気持ちになってしまいます。

ところで仁徳天皇陵の比較的近くに、応神天皇陵も存在します。

第15代応神天皇は、第16代仁徳天皇の父君であらせられます。

ある古伝によると、実は大きな方の古墳が応神天皇陵で、現在応神天皇陵とされている陵が仁徳天皇陵だという言い伝えもあるそうです。

いずれにせよ、大昔の墳墓ではありますが、天皇家のご先祖様のお墓であることに変わりはありません。

単なる観光地にはならないことを願っています。

ところで古墳といえば、人工的な山というイメージを持つ人がいらっしゃるかもしれません。

見た目は盛り土に木を植えただけのように見える古墳が多いからです。

私も昔はそう思っていました。

ところが、そうではないんですね。

実は、古墳はピラミッドのような石組みでできているのです。

奈良県明日香村にある、有名な石舞台古墳を見れば、ある程度他の古墳がどのように築造されたかがわかります。

石舞台古墳は大臣(おおおみ)蘇我馬子の墳墓だとされており、天皇陵ではありませんが、古墳の基本的なつくりはほぼ同じだと言われています。

世界最大の仁徳天皇陵の場合、ピラミッドといってもいいほどの石組みだったでしょう。

建造当時はおそらく、石組みがむき出しだったと思われます。

奈良の箸墓古墳の明治時代の写真を見たことがあるのですが、石組みがむき出しと言っていい状態でした。

長い年月の間に樹木が茂り、現在のような仁徳天皇陵の姿になったのかもしれません。

なぜかくも巨大な古墳を築造したのでしょうか。

私が子供の頃は、庶民を無理やり働かせた、みたいに習ったのですが、史実は違うようです。

巨大古墳は当時の公共事業だったのです。

つまり、不況対策。

仁徳天皇の“民の竈”説話は有名ですが、免税・減税だけでは十分でなく、古墳を建設するという公共事業を行なったという説が、現代では有力です。

これはエジプトのピラミッドも同じだと考えられているとか。

現代の経済政策にも通じる政策を、当時も行っていたのですね。

だからこそ仁徳天皇は慈悲深い賢帝として、長年忘れられることなく崇められてきたのです。

世界遺産に登録されるのは、嬉しいような気もしますし、逆に失礼なことがあったら申し訳ないような、複雑な気持ちがします。

何しろ私は、毎日のように近くを車で走りながら、遥拝しているのですから。

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