ショーケース

百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録が、今日決定されたようです。

大阪府民は(もちろん堺市民も)概してお祝いムードのようです。

大阪がかつての沈滞を脱しつつあるのは喜ばしいことですし、さらに大阪が良くなっていくことはもちろん賛成ですし、応援したい。

しかしながら、個人的にはちょっと複雑な気分ではあります。

天皇陵を世界遺産に登録するのには反対意見も根強くあったようですし、賛成している方でも、失礼にならないようにして欲しいという要望を持っている方が大半のようです。

やはり、天皇陵を観光資源として捉えるのには、抵抗があるのですね。

私自身もそうです。

お墓を観光資源にしていいのか?という気持ちが拭いきれないんですね。

とはいえ、もう決定してしまいました。

そこで自分自身のマインドの中の違和感をなんとか払拭するために、歴史を振り返ってみることにします。

百舌鳥・古市古墳群は、堺市、羽曳野市、藤井寺などにまたがる多くの古墳群の総称です。

そしてその代表的な存在が、仁徳天皇陵。

仁徳天皇は応神天皇の息子で第16代天皇。

諱は大雀命(おほさざきのみこと)と申し上げ、「民の竈」の逸話で有名です。

昔は小学校の教科書にも載っていた、慈愛深い天皇でいらっしゃいます。

陵は宮内庁によって堺市大仙古墳に比定されていますから、ほぼ間違い無いでしょう。

大阪の上町台地の上に建造されています。

そして古墳の側を、わが国最古の国道である竹内街道が通り、奈良の長尾まで続いています。

竹内街道を作ったのは、蘇我馬子だという伝承がありますから、敏達天皇から推古天皇の時代にできたと思われます。

当時、蘇我氏は大蔵大臣や外務大臣、総理大臣を兼ねたような大臣(おおおみ)の位にいましたから、竹内街道を作るにあたって、単に流通だけでなく政治的・外交的な配慮もあったに違いありません。

古代の外交使節が我が国を訪れる際、まずは北九州の太宰の帥(そち)を訪れます。

今風に言えば、ここで入国手続きをしたわけです。

その後使節は船で瀬戸内海を通り、茅渟(ちぬ)の海(大阪湾)へと至ります。

そこで外交使節がまず目にするのは、上町台地の上にそびえる四天王寺。

聖徳太子創建の、我が国初の国立のお寺ですね。

そして堺湊(港)で上陸した使節一行は竹内街道を通り、都である大和(奈良)へと向かうのです。

当然、仁徳天皇陵のすぐ側を通ります。

往古、古墳は石積みがむき出しで、ピラミッドのような外観を呈していました。

外交使節は、ここでさらに度肝を抜かれたことでしょう。

何しろ世界最大の墳墓(ピラミッド?)を目の当たりにするからです。

そして奈良への途上、さらにたくさんの古墳群を通り抜けていくわけです。

百舌鳥・古市古墳群の側を、竹内街道が通っているということは、敢えて外交使節に古墳群を見せつける意図があったということなのではないでしょうか?

今も昔も、彼の国は周辺諸国を見下し、侮る傾向があります。

彼の国に決して侮られないよう、仏教を輸入して大寺院を建立し、さらには仁徳天皇陵をはじめとする数々の古墳群を見せつけながら都へと誘った、という見方は穿ち過ぎでしょうか?

古墳群をショーケースとして扱った時代もあった(かもしれない)ことを考えれば、慈愛深い仁徳天皇は、世界遺産として登録されてもお許しくださるかもしれないと考えて、自分自身を納得させようとしているところです。

多くの外国の観光客が我が国を訪れることは、経済的な面だけでなく、我が国の誇る歴史の一端を知っていただくという意味でも意義があることかもしれません。

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