茅渟の海

大阪湾は古代、茅渟(ちぬ)の海と呼ばれてきました。

これは初代神武天皇東征の砌、兄の五瀬命が長髄彦軍の放った矢で傷を負い、その血が海に流れ、血沼の海と呼ばれたことが由来とされています。

大阪では黒鯛をチヌと呼びますが、黒鯛が大阪湾に多く生息しているためそう呼ばれているのだそうです。

上の図は、縄文時代の大阪湾の様子。

大阪平野はまだなく、中央部の岬が現在上町台地と呼ばれている所です。

次の地図をご覧下さい。

およそ3000年〜2000年前の大阪湾と河内潟が描かれています。

これらの地図は、国土交通省のHPからお借りしました。

キャプションでは縄文時代となっていますが、最新の考古学では3000年前から弥生時代が始まったとされています。

概ね大阪湾がこのような地形の時、神武天皇は日向(今の宮崎県あたり)から、船で大阪へやってこられたのです。

大阪湾は波が非常に速く操船に困難を極めたことから、「なみはやの津」つまり浪速(難波)の津(港)と名付けられました。

現代の大阪湾からはピンときませんが、古代の地図を見れば納得です。

おそらく上町台地の北端は、河内潟から海へ勢いよく水が流れ込んでいたのでしょう。

地質調査により、この時代の河内潟(湖)は、淡水であったことがわかっています。

こうしてみると、歴史学会で中心的な所謂欠史八代説は、間違っているんじゃないかと思えます。

欠史八代は、古事記や日本書紀にあまり事績が書かれていない、第2代から第9代の天皇のことで、実在していなかったという説。

さらには初代神武天皇も実在せず、第10代崇神天皇が実質の初代天皇であるという説もあります。

こういった説が歴史学界の主流だそうですが、古事記の神武東征の段を見れば、実際に当時の地形が記紀成立の時代まで伝わっていたと思われるのです。

地質学や弥生時代の遺跡の発掘から、さらに詳しい当時の地形が判明しつつあるようで、上の地図以上に詳しい地図も作成されているということなので、近々入手するつもりでいます。

多少(かなり)の誇張や粉飾、歪曲があるにせよ、古事記は神武天皇が実在したことを、その東征の描写により、実証しているように思えてなりません。

歴史のプロほど、思い込みという名のスコトーマが存在するのかもしれません。

ただ古いからとか、記述が少ないからと言う理由だけで、その天皇が存在しなかったことにはならないと思います。

古事記の記述と地質学や遺跡の研究をつき合わせてみると、神武天皇は実在したのは間違いないでしょう。

初代が実在するのなら、第2代以降の天皇も実在した可能性が極めて高いですね。

古事記を書き写した太安万侶は神武天皇の長男の子孫ですし。

それに神武の次男は第2代綏靖天皇です。

太安万侶の実在は近年発見された墓誌により確定していますから、欠史八代説は誤りだと言うことでしょう。

しかし、未だにこの説が撤回されたと言う話は聞きません。

専門家のスコトーマは、相当外すのが難しいようです。

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