雑感

神社好きが御朱印を集めだし、神様や歴史に興味を持ち、色々勉強しているうちに、マインドに関する雑多なことに気づきだしました。

思いつくままに書いてみます。

まずは抽象度。

抽象度を上げたり下げたりすることは、様々な視点から物事を観たり思考するのに欠かせない作業です。

しかしながら、この点について見逃しがちなのが、情報の量です。

神社についての知識が全くない、あるいはほんの少しだと、そもそも抽象度を上げることは不可能なのです。

つまりペットのワンちゃんが、生物学的にどのような位置にいるのか、そこそこの情報量がなければ、ワンちゃんがなんという生き物かすらわからないということなのです。

抽象度を云々するには、対象に関わる情報量が多ければ多いほどそのレベルが自在にコントロールできるようになります。

逆に情報量が少ない、あるいは一定の情報量のまま、物事を判断しようとするとその結論は現状維持、つまりありきたりでつまらないものになってしまうことでしょう。

神社については私も最初は、ありきたりの知識しかありませんでした。

ですからどの神社に行っても、同じような感想しか持てなかったのです。

それが神社の由緒書きを読むと、例えば崇神天皇の〇〇年創始という記述があれば、崇神天皇について知りたくなってきます。

崇神天皇を調べると、自然にその周辺情報も視野に入ってきます。

例えば崇神天皇は第10代天皇であること、四道将軍を各地に派遣して乱を平定したこと、ヤマトトヒモモソヒメがおばさんであることなどが分かってきます。

それぞれの情報がまた枝分かれして、様々な情報をゲットすることにつながります。

こうして増えた情報をベースに、抽象度を上げることが可能になっていくわけです。

崇神天皇に関わる情報と、その周辺情報から、この時代が魏志倭人伝言う所の「倭国大乱」の時代ではないかと気づいたのも、一定量の情報が集まったからこそです。

こういう気づきは、単に書物を読んで得た情報より生々しく感じますから、端的に言って脳が喜びます。

この喜びが、次のステップへ進む原動力になるのですね。

次に思い込み(信念、belief )です。

なんらかの結論を得たとき、それが正解だと強く思い込まないことが重要だということ。

思い込みは、どんなものでも脳の機能を制限します。

これが正しいと思い込んだら、その思い込みに反する情報はシャットアウトします。

ですから、どのようなことでも強い思い込みは、常に現状に縛り付ける桎梏になるわけです。

もしかすると違うかもしれない、まだ他に情報があるはずだという心的な態度が重要です。

この態度が、脳のRAS(ラス、網様体賦活系)という、情報を集める機能を活性化させるのです。

その上で、常に情報をアップデートしていく。

同時に情報の全体像(ゲシュタルト)を様々な抽象度で吟味してみる。

このような作業は、want to で行う限り、非常に楽しいものです。

だからこそ、コーチングでは趣味のゴールをとても大切だとみなしているわけです。

仕事に関するゴールは、当初 want to で設定したとしても、いつのまにかhave to にすり替わって行きやすいものですから、並行して趣味のゴールを持つことで、仕事のゴールのアップデートにも役立つようになるというわけです。

もちろん、他のジャンルのゴールについても同じことが言えます。

私の場合、精神性のゴールに仏教に関するものがあります。

ですから仏教の瞑想は、ゴール達成に不可欠なものなのです。

特にヴィパッサナーと呼ばれる瞑想は重要ですが、実際やってみるとこんなに退屈なものはない、と思えるほどです。

私だけかもしれませんが。

しかしブッダの教えを体感するには、自分自身の心身を観察して、膨大なデータを集める必要があります。

些細でつまらないような情報ですが、膨大な量が集まると、自然に視点が変わってきます。

抽象度が上がるのです。

これを根気よく何度も繰り返すことで、無情、無我、苦などの仏教の説く真理が体感されるようになるのですね。

ここでも膨大なデータ、情報が必要なのです。

あとはこの作業をいかに楽しみながら続けることができるのかが、重要なポイントになります。

楽しみや喜びが前進の原動力であることは、鉄則だと言ってもいいでしょう。

こう意味でも、ブッダは苦行を意味のないものとされたのかもしれませんね。

人生のすべての領域でこういうマインドの使い方ができれば、本当に素晴らしいと思いませんか?

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